高田淳子プロフィール 

80年代前半、バンドブームに乗り、ヤマハのeastwestでちゃっかり優勝してしまい、音楽の世界へ。バンド解散後は、作曲・アレンジ・バックミュージシャンからアンダーグラウンドまで守備範囲広く活動。 80年代後半、アフリカンパーカッショングループ「ドラマーズオブブルンジ」に出会った瞬間、体に電気が走り涙が止まらなくなる。その後、ギターからジャンベに持ち替え、日本の音楽シーンに別れを告げることに。

全ての世界を変えてくれた鬼才中川晶一朗との出会い。蛇喜猫賀を結成すると、野に山に、神社・古民家・ギャラリーを舞台に、原始自然音楽の世界にどっぷりつかった20年。

 

 埼玉県、高麗川のほとりで子育てしながらの音楽生活。地元舞踏家香春、鶴ヶ島市「おれらのリューダ祭」の子どもたちやスタッフとの出会い。

中でもパプアニューギニアの「ブイジェネレーション」ガサペ氏との出会いは強烈でした。そのポエトリーは精霊たちの子守唄。川のせせらぎ、鳥のさえずり、風のうなり声も、不協和音は存在しない桃源郷。 心や身体を満たしてくれる自然界の「共振」に魅せられ、さらに深みにはまる。

 

そんな時、突然の別れ、音楽の師匠でありバンドリーダーの中川晶一朗が他界。蛇喜猫は休止状態。

 師匠を失い 「次」を模索して出会ったのが「ドラムサークル」。ドラムサークルのファシリテーターは、まさに実践と修行の場。奥が深く日々学ぶ事ばかり。

 

生きているうちにどうしてもやり遂げたかったこと。それは蛇喜猫賀の未発表曲を世に出すこと。高田幹人氏のサポートにより2010年デモをとり始め2011年本格スタート。「お父さんの唄をうたいたい」と名乗り出てくれた中川ルミさんとたったふたりではじめたCD制作は、6年越しで完成。その間、旧メンバー丸谷氏をはじめ多くの仲間が集まり、夢にまで見たバンド再結成が実現しました。

 

高田淳子プロフィール  

1982-1989:メジャーデビュー。アルバム・シングル数々リリース。 後ソロで作曲・アレンジ・サポートメンバーなどの仕事を行う。

1992-1995:アフリカンパーカッションに出会いセッション・ライブに参加

1996-2002 :音楽ユニット「蛇喜猫賀」結成。中川晶一朗氏より身体音楽論を学ぶ。

野神楽やまむすべ」に参加。 CD「Ur」リリース。

2003-2008:埼玉県鶴ヶ島市「おれらのリューダ祭」音楽ワークショップリーダー

2008-2010:日高市もののね工房にてジャンベワークショップ開催 

2011.:ドラムサークルドンジャラホイをスタート 鶴ヶ島ドラムサークル、障害者ドラムサークル

           高田淳子と中川ルミのユニット「ubusuna」(仮)の名で活動

     蛇喜猫賀 中川氏追悼CDのレコーディング開始

2016.:蛇喜猫賀 CD「水よ自由に」発表

    新メンバー加入、蛇喜猫賀再結成