高田淳子プロフィール 

1975~ 

高校がバンド活動禁止で、新宿のロック喫茶に入りびたり、独りフランク・ザッパを愛し、ジェフ・ベックをコピーする暗い女子高生時代

 

1980~ 

女子大生バンドHot Lipsで巷のバンドコンテスト荒らし。当時スポンサーの賞品が半端なかった。はみだしぴあで出会ったバンドTango Europeが1981年ヤマハEastWestグランプリ大会でレディース部門優勝


1982~ 

Tango Europeアルファレコードよりデビュー 

プロデューサー有賀恒夫さんはユーミンを世に出した方。

リリース:アルバム1枚、シングル3枚、三枚目のシングルは細野晴臣の作品。その後キングレコード移籍シングル1枚、アルバム1枚 

メディア:笑っている場合ですよ・おれたちひょうきん族・11PM・オールナイトニッポン・各種音楽雑誌・FMライブ 他

 

その後音楽性の違いにより、惜しまれつつバンド解散


1985~

 ソロ活動開始 楽曲提供・アレンジャー・バンドサポートなど、メジャーからアンダーグラウンドまで幅広く活動。この頃は、Yukarie(sax)とのユニットや、複数のバンドに参加していました。

 

サポート:三上博史(g)、小林克也&ザ・No1バンド(g)、河内家菊水丸(cho)、雪之丞バンド(g)、JAGATARA(cho)、FOOLS(cho)、POODRAGOZILANBO(g)他

楽曲提供:三上博史、大和和紀 他

 


1990~ 

80年代後半、アフリカンパーカッショングループ「ドラマーズオブブルンジ」や「ファラフィナ」に出会い衝撃を受ける。その後、出産を機にperに転向。この頃、鬼才中川晶一朗と出会い、セッション開始。

 

サポート:塩の道(per)、SUPPER WOO(g・per),海の幸(per)、ドント(per)


1995~ 

蛇喜猫賀を結成。野に山に、神社・古民家・ギャラリーを舞台に、沖縄ツアーにも行きました。中川晶一朗氏より民族楽器の基礎や、身体音楽論を学ぶ。

 

1997~ 

舞踏家香春(カワラ)主催「野神楽やまむすべ」に参加。

蛇喜猫賀CD「Ur」リリース。高麗神社公演開催

 


2003~ 

埼玉県鶴ヶ島市「おれらのリューダ祭」音楽ワークショップリーダーを務め、2回の公演を行う。またパプアニューギニア舞踊団「ブイジェネレーション」との交流も活発に行う。2004年パプアニューギニアへ演奏旅行

 

2007~ 再結成ブーム。昔の音楽仲間との交流再開

   爆風銃 ライブサポート(g・per) 他


2008~

中川晶一朗氏 他界

おれらのリューダ祭を引き継ぎ、東京演劇集団KAZEとのコラボ作品「星の王子様」を公演。ブイジェネレーションとの交流イベントや、リューダワークショップを開催。


2011~

蛇喜猫賀未発表曲のCD制作をスタート。

同時期、障がい者向けジャンベ教室、ジャンベワークショップ、コミニケーションドラムサークルを開催。

 


2016~

蛇喜猫賀CD「水よ自由に」リリース。新メンバー加入で蛇喜猫賀再結成。高麗神社1300年祭。高麗神社公演、ギャラリー、古民家など各地で開催


2020~ 蛇喜猫賀活動休止

ソロ活動スタート。

2022年高麗神社奉納公演開催。


昔の記憶がかなり薄れてしまっているので、間違いや抜けがあるかと思います。

20~30代に関わった多くのミュージシャンやバンド名は書ききれないので省略させていただきます。